母は、普段はどこにでもいる普通の人でした。
けれど、踊りのお稽古に出かける前、
箪笥から着物を取り出すその時だけは、
部屋の空気が変わりました。
畳の上に広がる絹。光を含んだ、静かな艶。衣擦れの、かすかな音。
着物を着る所作。鏡に映る横顔の、凛とした気配。
幼い私は、その全てに心を奪われました。
ある日、母のいない隙に、重たい箪笥を開けました。
怒られると分かっていながら、
そっと着物を取り出し、見よう見まねで羽織ってみる。
ひやりとした絹の触感と重み。
自分が少しだけ ‘別の誰か‘ になったようなあの胸の高鳴り。
その晩、私は当然のように叱られました。
けれど、あの時感じた小さな背徳と興奮は、
不思議と消えることはありませんでした。
今、私は着物を解き、新しい形へと再構築する仕事をしています。
壊すためではなく、受け継がれた時間と想いを、
もう一度、誰かの人生の中に送り出すために。
「舞音」の原点は、
母の背中と、あの日の絹の重みの中にあります。

